怒りを抱く背景には、自分が抱えている罪悪感がある。という言葉で謎が解けました。
相方さんと最近独立して事業を何か始めよう、という話をよくします。
元々会社員勤めが向いてないな、という自覚もあるので、長らく自分でも「独立して何かをやってみたいな」という思いを長く抱えていました。
パートナーも勤務先での色々が重なり、退職を真剣に考えるようになってから、「こんな事業はどうだろう?」という話をよく持ちかけてくるようになっています。
ところが、持ちかけられて事業の話を聞いている最中に、あまりにもフワっとしている内容にしか感じられず、内心イライラしながら話を聞いているのです。
前向きな話をしているのに「その事業、集客どうするの?」とか、「マネタイズはどうするの?」とか、明らかな欠点があって、上手く行かないように感じてしまい、それが長らくイライラを引き起こしてると思っていました。
でも実は、「完璧な事業計画を立てなくてはいけない」だったり、「何も考えずにやりたい事だけ言ってはいけない」という、自分が自分に課している「罪のルール」だったことに気がつきました。
自分が待ち切れない罪悪感を、相方さんに投影していた事にとても納得し、気持ちが軽くなりました。
怒りを持った時は、自分の中の「罪と罰のルール」を見直して見る事が大事だと学びました。
罪はない、という視点に立てば、怒りのメカニズムも落ち着いて見られるようになります。
これからの相方さんとの話し合いの場は、きっともっと平安で、前向きなものになると思います。