ここ数日、何個か記事を投稿していますが、言葉の不自由さを感じています。
投稿した自分の記事を見返すと、思いが100%伝わる文章か自信がありません。
題名と文章が食い違っていたり、もう少し文章を補足したほうがよかった、という部分を強く感じます。
自分の意識を100%伝えたい、という原初の欲望のようなものが、元々人間には備わってるのかもしれません。
だけど、ほんとは何かを言葉にして伝えた段階で、必ず何かがこぼれ落ちています。
言葉にする、ということは、物事の一部分を切り取る事だからです。
不可能性が前提にあるにも関わらず、それでも人は伝えようとします。
言葉で、音で、絵画で、ダンスで。
ある表現を見た時に、どんな事を感じるのかは人それぞれで、コントロールできません。
表現した側の思いを超えて、全く違うものを受け取る人もいるでしょう。
表現の不自由さは、なぜか人を惹きつけます。
わかり合いたい、という気持ちが人の意識の根源に、根付いている気がしてなりません。