効率的に、ロジカルに。
これは世の中を生きていく上で、死ぬほど刷り込まれた概念ではないだろうか。
仕事は効率的に、ロジカルに。
学校の勉強も効率的に、ロジカルに。
僕らはそうやって育てられてくる。
少しでも早く、多く。
常に全力で。
物心ついてから死ぬまで、その概念にさらされていく。
何事も効率よく、ロジカルにやっていれば、幸せになれる。
その「幸せの呪文」を握りしめて、唱えながら生きている人のなんと多いことか。
だけれど。
人生がそればかりでもない事を、みんな体感してもいる。
薄々気づいてる。
効率やロジカルを超えた、奇跡としか思えないこと。
理屈を超えた感情によって巻き起こされる奇跡。
理性や知性を超えたところにこそ、大事なものがある。
みんな気がついている。
効率やロジカルとはおよそ縁のない、原住民が残す言葉や文化が、なぜ人の心を動かすのか。
先進国の人達に比べても、幸せそうなのか。
効率だけじゃ、ロジカルだけじゃ足りないなにかが、ある。
それは、直感と言われるものだったり、霊性と言われるものだったり、ソースと言われるものだったり。
ロジカルにも説明できない、なにか。
誰にもわかるように説明がつかない、正義も悪も、美も醜も、正解も不正解もごちゃ混ぜにした、なにか。
だからこそ、信じられない人が多い。
知性と、それを超えた「何か」。
ここでは仮に、それを直感と呼んでおこう。
直感と理性。
人生でどちらかしか選べないとしたら、直感を選ぶ。
幸せに生きるために必要なものは、解散され尽くした結果じゃない。
偶然や想像を超えた出来事を楽しむ姿勢だから。
もちろん現実はここまで極端に分けられるものじゃない。
知性でベストを尽くしつつ、あくまで主導は直感。
やや直感ですぎちゃった、くらいがちょうどいい。
直感が理性を従える。
想像を超えた直感の声にビビりながら。
でもそれに従って生きていく。
デコボコした人生になるかもしれないけど、豊かさって、幸せって、そんな生き方にある。
大切なものを見失わないように生きよう。
人には説明のつかない力が、みんなに備わっている。
ただ、それを大切に。
そうやって生きてけば、幸せはもうある事に、気づくはず。